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自分を良く見せたい

2019.04.24.06:03

ウツ病体験記、ウツになった過程を軽くまとめてみると。

周りの出来事にいちいち打撃を受け
冷静にひと考えせず
思考力を鍛えず
心を暗く拗らせ続け……

とうとうウツになりました。


幼い子供の頃から母親に恐怖で支配されていたため、周りの出来事にいちいち打撃を受ける癖がついていました。

しかし、同じような環境にいた弟は平気だったので、モノゴトの受け取り方は、生まれつきのタチによって多少の違いがあるということでしょう。

ウツにならなかった弟は、母親のことを怖がってはいたが、自分の感覚も大切にしていました。
理不尽に怒られても、派手に泣いたり怒ったりして自分の言い分もぶつけていました。

弟は感情を抑え込むとか、溜め込むとか、取り繕ったりしませんでした。
余分な感情が少なかった。
その都度、その場で、即発散していました。
おねしょのことは悩んではいましたよ。
でも、着替えたら忘れてるっぽかった。
あまりにもおねしょが「日常」だったので。
おねしょしなかった日の方が珍しくて驚いたw

一方、ウツになった私は……
母親に怒られた恐怖と見捨てられるかもしれないという不安いっぱいで思考停止したまま、母親に気に入られようと自分を取り繕うだけでした。

思うことがあっても言い返さず、我慢しました。
(私がここで我慢すれば、手っ取り早く母親の機嫌が良くなるだろう)という打算がそうさせたのだと思います。
怒られている恐怖から一刻も早く逃げ出したかったからです。

心に余分な感情が溜まる一方ですが、無意識・無自覚でした。


他人とぶつかるのは嫌。
他人とぶつかることは悪いことだと思っている。
自分さえ我慢しておけば相手の機嫌が良くなると思い込んでいる。
相手の機嫌を取りさえすれば、見捨てられずに済むと思っている。
見捨てられるのが怖くて、周りの顔色を伺ってビクビクオドオド。
何でもないことをものすごく恥ずかしく思う。
人前で名前を呼ばれるとか、学校で発表するとか、とても恥ずかしくて緊張して震えるほど。

なぜそう思うのか?

ということは考えず、その時の感情に支配され、その場限りの反応をしてやり過ごしていました。


心が弱く、腹が据わらず、頭が働かず。
周りの出来事にいちいち打撃を受け、一喜一憂し、変に緊張し続け、遂に脳が機能不全を起こして自律神経失調からウツに……って流れですかね。

さて、ここで思うのは……
自分を良く見せるための行動に終始していたな、ということ。

では、その行動の動機は?

母に褒められたい、認められたい。
これに尽きます。

ところが、これが母だけに留まらなかった。

先生に褒められたい、認められたい。
友達に褒められたい、認められたい。
学校で褒められたい、認められたい。

アホだなあと思うが、まだわかる。
でも私はもっと欲深かった。

全ての人に褒められたい、認められたい。

無意識・無自覚のうちにこう思い込んでしまいました。
不遜というか尊大というか傲慢というか。
こんなの不可能です。
いくらアホでもちょっと考えたら分かると思うのですが、これが全く分かりませんでした。

これを可能だと思ったのかどうか分かりませんが、望んでしまった。
望んでいるだけならまだいい。(良くないけど)

全ての人に褒められ、認められなければならない!

とまで思い込んでしまいました。
こうなると強迫観念になってるし、訂正・説得不能な妄想の域に到達しています。(医療用語の「妄想」です)

みんなが私を褒めれば、いくら母でも私を褒めて認めてくれるだろう。
と、謎の決めつけと期待をしました。
もちろん無意識・無自覚です。

恥ずかしがり屋も、自分を良く見せたいがそれがうまく行かないのが怖いから。
相手の機嫌を取るために我慢するのも、自分を良く見せるため。
周りの顔色を伺うのも、自分を良く見せたいから。

自分を良く見せるために自分を取り繕って、いつの間にか、取り繕っているという自覚が無くなってしまいました。

そのうち「自分を良く見せたいなんて思ってない!」と思うようになりました。
自分を良く見せようとすることはカッコ悪いと思ってしまったからです。
「他人の目を気にしてばかりいるのは良くないことだから、私はやってないもんね」と思い込んでしまいました。

言ってることとやってることが完全に正反対で、しかもそれを全く自覚しないどころか、指摘されると感情的になります。
しかも、感情的になっていることすら自覚できません。

ただ訳もわからず苦しいだけ。
「誰も分かってくれない」と思い詰めて「私なんか居ない方がいいんだ」「死ぬしかない」と、頑固に思い込んでしまいます。

本物のメンヘラです。


必要以上に他人の目を気にするのは苦しいです。
取り繕うばかりで空っぽの自分を見るのも、苦しいです。
認めたくないです。
でも、認めずにいても苦しいです。

心が苦しいのは治りたいという本心の発露だとも思います。
治せる可能性があるということです。
苦しいから病識を持てる可能性が出てくる。
楽しければ、まさか自分がおかしいとか病気だとは思いもよらないので。

心の中で、恐怖や不安で思考停止していた頃の自分に会いに行ってみて、何が怖いのかとか、どうして怖いと思うのかとか、質問してみるのも一つの手だと思います。

自分なりにやってみるのが、時間はかかるけど確実だと思います。
自惚れず卑屈にもならず、ウツに付加価値を付けずウツを憎まず。
特別な感情を入れず、診断もせず裁きもせず。

私はカウンセリングを受けていた時も、自分を良く見せようとしていました。
それについて最初は(情けない)(自分は筋金入りのダメ人間だ)と思いました。
そう思ったということも、ノートに書き出しました。
自分で自分にインタビューするような作業の中でも、自分に対して自分を良く見せようとしてきます。
それに騙されないように、心の中にもう一人の自分を持つとかの工夫が必要でした。
なかなか難しいのですが、、

長い時間をかけて一つ一つ丹念に洗い出していくことで、私の場合は「母に良く思われたい、褒められたい、認められたい」という気持ちが全ての発生源らしいことが見えてきました。

発生源が特定できたら、母を恨んだり憎んだり、母に対して怒ったり、気分が乱高下したり。
それでも続けているうち、気分の振れ幅が少しずつ小さくなってきました。

今はもう、何とも思わなくなったかな?
それは本当かな?
自分を良く見せるための模範解答をしてるだけかな?

この自問自答は一生続きそうです。

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あやにゃん

Author:あやにゃん
成人期 4 賢者
バブちゃん(夫)
成人期 3 王
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