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私の場合のウツの引き金

2019.04.13.04:13

ウツ病だった頃を振り返ってみると、私はウツになってしまいそうな下地を自分で作っていたのだなと思います。
もちろん無意識・無自覚に。
弟と私では性格やモノの捉え方、感じ方が違うし、反応の仕方も違っていました。

ウツは精神の病なので、性格や思いの癖が原因だろうと思われるところではありますが、肉体的にも原因はあると思います。
そうでなければ、薬が効く説明がつかない。

私はこのように考えました。
①ウツになりやすい思い癖や性格が土台にあり、
②過剰なストレスが長期的にかかって、
③気持ちの上で余裕がなくなると同時に、
④緊張状態が長期に渡って続くことで自律神経の失調を来し、
⑤ホルモンや脳内物質のバランスが乱れ、
⑥動悸、頻脈、不安、不眠、焦燥感、起立性低血圧、不整脈等の症状が現れ、
⑦疲れ易くなり、気力、体力ともに枯渇していき、それが長期に渡ってウツ状態となる。


私の場合、土台の性格は子供時代からありました。
そこに母から受けたストレスと、家庭環境の変化と学校を転校したストレスとが日常的にあり、常に過度の緊張状態になっていたため、自律神経失調状態を引き起こしました。
そのため様々な身体面・精神面での症状が出現しました。

ある程度までは何とか耐えていたものの、短大2年で学業が忙しくなり、睡眠時間を削りました。
そのことで交感神経優位状態が過剰になりました。
その結果、ある種の脳内物質とホルモンが過剰になるとか不足するという自律神経失調状態になりました。
ずっと興奮・緊張状態、臨戦状態で休むことが出来ずにいる、ということです。
自分の意思と無関係に、常に敵襲に備えて起きっぱなし、警戒しっぱなしになってしまい、ずっとこれでは疲労します。

過度の長期間のストレスで自律神経がエラー起こして暴走してしまった感じですかね。
低スペックのパソコンに大きなファイル読み込ませようとしたら熱持ってきて「読み込み中…」のまま終了もスリープも出来なくなってる感じというか。

その症状として、不眠や易疲労性、動悸や頻脈、起立性低血圧、呼吸性不整脈、体重減少などが身体に現れ、同時に不安や焦燥感も無視出来ないレベルに強くなり、とうとう説得不能な罪業妄想が出現して自殺企図に至りました。


直ぐに性格を変えるのは難しいですが、睡眠時間を確保するのは、すぐにできます。

でも、自殺未遂した直後は、この上なく疲れているのに全然眠れませんでした。
いつもドキドキしているし、手足は痺れるほど冷えているのに、頭や顔は逆上せていました。
また、立ちくらみでいつもフラフラしていました。

こういう症状は薬でもすんなりとは良くなりませんでした。
でも、何とか眠れるように睡眠導入剤と抗不安薬を飲んで、身体を休めるようにしました。

強い罪業妄想は一時的に緩んだりしてました。
気分は化学物質の影響を受けます。
自分の身体が作り出す化学物質が普段の気分を決めている面もあります。

抗不安薬には、依存性があります。
薬が無いと不安に思ってしまう精神依存よりも、身体依存の方が強いと感じます。
身体が化学物質を作り出すのって、大変なのかもしれません。
元々、「気分と血圧や脈拍を安定させるホルモンや脳内物質」を、過剰なストレスが原因で作り出せなくなっているので、そこを薬で補ってやると、身体がラクをする方向に傾いてしまうのではないかと思うのです。
つまり、補充すればするほど、自分で作れなくなるのではないかな?
だから自分の意思に関係無く薬をやめられなくなってしまい、私が薬を減らし始めたときもかなりしんどい思いをすることになった、というわけです。

だから、薬で補っている間に、ストレスを取り除く努力をする必要があります。
ところがウツ真っ只中に居たときの私は、何をストレスに思っているのかさえも分からなかったので、ストレスの原因を取り除くというのが至難の業でした。
そのため、何度か再発させたのだと思います。


弟は子供時代から自然とストレスを溜め込まない生き方を選択していたようです。

弟が高校2年になった年に、私は進学して家を離れました。
そのすぐ後ぐらいに、母も彼氏のマンションに押し掛け女房して住み着いてしまいました。

母と私が出て行ったので、高2の弟は一人で団地に住み続けました。
口煩い母と不気味な姉がいなくなり、弟は一人暮らしを謳歌しました。
弟はアルバイトと友達とやってるサイドビジネスで生活費と学費を稼ぎ、楽しくやっていたようです。

弟は子供の頃からよく眠りました。
おねしょしても起きないし、泣き喚いてそのまま寝落ちするし、いつでも何処でも眠くなると眠っていました。

身体と心にストレスを溜めない生活を、自然に選択していたようです。


ストレスを溜めないといえば、こんなことを思い出しました。

私が小学1年で、弟が幼稚園年少の時。
まだ両親が離婚する前で、刀鍛冶の祖父の家に祖父母と両親と叔父叔母たちと住んでいた頃の話。

弟が通っていた幼稚園は給食で、ある日、珍しく弟が給食を残して持って帰ってきました。
(昭和55年か56年の田舎では、給食を残すなどご法度で、持ち帰るなど異例中の異例)
弟が持ち帰ったのは焼いた秋刀魚で、幼稚園から帰った弟はすぐに昼寝してしまいました。
そこで母は、弟が持ち帰ってきた秋刀魚を猫にあげました。
(当時、犬が3頭、雌鶏1羽、猫が一匹居た)

昼寝から目覚めた弟は、秋刀魚が無くなったことで大泣きしました。
お昼寝の後でゆっくり味わって食べるつもりで、自分の楽しみのために秋刀魚を残してきたと言うのです。
泣いて泣いてどうしようも無かったので、見兼ねた祖母が秋刀魚を買いに行ったのでした。

当時住んでいた家は、山奥の一軒家でした。
刀鍛冶は早朝から槌音やらでうるさいし、煤と煙が凄いので、人里離れた一軒家です。
買い物ひとつ取っても車で30分以上かかっていると思います。
母は運転免許を持っていませんでしたし、祖父と父と叔父は鍛冶場にこもりきりです。
お弟子さんたちの賄いも作らなければならないし、食事の準備だけでも大変です。
そんな中、臨時で秋刀魚を買いに行くのはかなりの負担なのですが、祖母は泣き止まない弟のために車を走らせたのでした。

この話を、小学校から帰宅した私は、母、お弟子さんたちから代わる代わる聞かされました。
祖母に聞かされたときは、如何に弟が泣き止まなかったかを笑いながら、たとえ相手が兄弟や家族であっても他人の物に勝手に手を出してはいけないと教わりました。

その日の弟は、祖母に秋刀魚を焼いてもらって嬉しそうでした。


何故私はこれを詳細に覚えているのか?

当時、小学1年の私は、この弟を羨ましく思い、このことが心に刻まれたからだと思います。
この頃の私には、既に我慢する癖が付いていたのでしょう。
もし私が弟だったら、こんな風に泣いたりせず、(仕方ないな、さっさと食べておけばよかったな)と諦めたに違いありません。
祖母が忙しいのは分かっていたから、祖母の仕事を増やさない選択をしたはずです。
自分が我慢して全体を円満に保つほうでした。
全体を見切れるわけがないくせに、です。

こういう余計なことを考える癖がついていて、我慢に我慢を重ねたことで自分で自分の首を絞めていったのも、ウツの要因だったと思います。

我慢もほどほどがいいですね。
そのほどほどが分からない・出来ないからウツになったのですが。
こうして丁寧に思い出して観察してみると、今後はウツにならないように気をつけるポイントも少しずつ見えてきますね。

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あやにゃん

Author:あやにゃん
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成人期 3 王
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