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再発の方が巧妙

2019.04.10.06:14

私はウツ病期間中に、救急のお世話になった自殺未遂を2回、警察に保護されたのを1回、合計3回やらかしてます。
ウツが再発した時にやらかした自殺未遂は周到に準備して巧妙に計画・実行していました。


学生時代のリストカットは、なんとなく衝動的にやらかした感じです。
救急外来の若い医師が、結構深く切れてるなあ~、もうやっちゃダメだよ?と言いながら縫ってたのをボンヤリ聞いてました。

次は退職直後ぐらいだったかも。
24歳頃かな?
あまりよく覚えていません。
フラフラ歩いていたらしく、通りすがりの人に通報されたようで、気が付いたら警察署に居ました。
何処の警察署だとか、全く記憶にありません。
母とその彼氏が引き取りに来たような気がするのですが、記憶が断片的です。
飛び降りとかやらかしそうだったようで、衝動的な行動だったみたいです。
薬でボーっとしてたのかなあ?


最後の、25歳の時にやった自殺未遂は、計画的に溜めていた薬を飲んだことによるものです。

しかし、薬を飲んだ前後の記憶がほとんどありません。
副作用の記憶障害のせいだと思います。
元のウツ病も重症化していたので、脳の機能自体かなり低下してます。

毎週のように会っていた主治医の名前すら思い出せません。
顔は何となく覚えているけど、曖昧な記憶でしかありません。

その時期にしたこと、会った人、出向いた場所など、ほぼ記憶にありません。
バブに「あの時〇〇に行ったねえ」と言われても、行った記憶がありません。
そもそも、何故バブと同居しているのかすら、未だによく分かりません。

酔っ払いが記憶を失くしているようなものです。


ここで話は逸れますが、、

20歳の時、最初の治療を終えてウツ状態から回復していた時期に、飲み会で記憶を失くしたことがあります。
何をどれだけ飲んだのか、誰と何を話し、何をしていたのか、何一つ覚えていません。

眠り込んだのか、意識はあるが前後不覚になっていたのか、どういう状況だったのかも不明ですが、居合わせた人たちに家まで送り届けられています。
翌朝の激しい頭痛と吐き気で「ああ、これが二日酔いというものか」と思い知り、着衣の乱れが無かったことに安堵しました。

その後も飲み会に参加していたメンバーは私と普通に接してくれたので、特に不味いことはやらかしていなかったようです。
初めてお酒を飲んで許容量が分からなかったのもありますが、怖いなと思いました。

私に向精神薬がよく効いたのは、体質もあるかもしれません。
アルコールや薬物に対する反応が良いというか、少量でたくさん効いてしまうようです。


話が前後しますが、、

25歳でやらかした自殺未遂は大量服薬でした。
この時は退職していて、薬物療法を受けていました。
薬がよく効く体質を理解した上で、怪しまれずに準備が出来る方法を選択したのだと思います。

自殺の兆候は、誰にも気づかれませんでした。
普段通りに家事をして、普段通りに振舞っていたみたいです。

その頃はバブが私のアパートに住み着いていました。
時々元同僚の看護師とか、友人や私の母が様子を見に来ていました。


その日は、私が眠っていて起きてこないので、「珍しくよく寝てるな」ぐらいにしか思わず、バブは寝ている私をそのままにして仕事に出かけました。
そして私は、夜にバブが帰宅してもまだ寝ていました。
呼びかけにも応じないし、揺すっても起きず、変だなと思っていたら、偶々様子を見に来てくれた元同僚の看護師が異変に気付き、二人で救急外来に運んでくれたようです。

これを実行する前のことが全く記憶にありません。
後で聞いた話と状況から判断して、今こうして文章化していますが、実感も記憶も曖昧で断片的なので、整合性に欠ける部分があるかもしれません。

搬送先で胃洗浄したようです。
誰かの声が聞こえたような気がします。
おそらく、救急外来の医師が意識レベル(覚醒の程度、意識障害の分類)を確認しようとしていたのでしょう。

この時の私は、服用した薬の名前が分かる薬のシートなどを全て処分していたようです。
部屋のゴミ箱に捨てたのではなく、燃えるゴミに出していました。
それで、何をどれだけ飲んだのかが誰にも分かりませんでした。

目が覚めたら知らない病室でした。
そこで何をしたのか、何を話したのか、誰が居たのか、全く覚えていません。
しっかりと受け答えしていたらしいのですが、記憶にありません。
ただ、ひどい目眩がして真っ直ぐ歩けなかったのは覚えています。

しっかりと自分を病気だと自覚していたので退院出来たそうですが、誰とどんな会話をしたのか全く覚えていません。
自分でやらかしておきながら、実感を伴わないし、はっきりと思い出せません。


やらかす前は、周りから見ると(もう平気なのかな?)程度の落ち着きがあったらしいです。
しかしその時は巧妙に自殺の準備を着々と進めていて、ある日突然、完遂する勇気を出してしまったみたいです。

これはバブや主治医や周りの人たちを大いに驚かせ、落胆させたことだろうと思います。
支え続けてくれる人たちをずっと裏切っていたわけですから。
しかも、悪意無く「私が居なくなることが良いことだ」と信じ切っていたのです。
薬をきちんと服用せず自殺用に溜め込んでいたので、妄想が酷くなって当然です。

退職も自殺の前準備だったかもしれません。
治療に専念すると言いつつ薬を溜めていたわけで、少しずつ時間をかけて、身辺整理をしていたということです。
奨学金2つの返済は終わり、もう一つは自動で引き落とされるようにしてあり、口座には完済できるだけのお金が残してありました。
本人が死んだら銀行口座が凍結されるということを、当時の私は知りませんでした。

持ち物や衣類もかなり減っていたようです。
体重もかなり減っていたようです。
学生の頃に買った万年筆が残っていたのは、仕舞い込んで忘れていたからでしょう。


元同僚とバブに大迷惑をかけてしまいました。
しかし、二人は私を感情的に責めたりしませんでした。
二人とも情緒が安定していたし、一貫性のある態度でした。

内心ではどうだったのかは想像を絶するのですが、私には一貫した落ち着きのある態度を示し続けてくれました。
私が覚えている限りでは二人ともごく普通でした。
私の知らないところで、たくさん打ち合わせをしてくれていたかもしれません。
それを私に秘匿し続けているのかもしれません。

他にも看護師の知人が来てくれたりしました。
無償で私のために淡々と「やりたいことをしてるだけ」「あやにゃんが居なくなったらつまらない」と言ってくれる人たちに申し訳が立たないと思いました。
私はもう二度と自殺なんかしてはいけないなということを心に刻みました。

その後もウツ病の症状として、落ち込んだりマシになることを繰り返したし、自殺したい衝動も出ましたが、薬物療法を続けました。


私の場合は「みんな私が最初から居なかったものとして忘れてください」という妄想から自殺をやらかしているので、3回とも遺書を残していません。

しかし、失敗したことによって「自殺を完遂してしまったら最悪の印象を残したまま二度と忘れてもらえなくなる」ということが理解できました。

「あやにゃんが居なくなったらつまらない」というのは、うまい言い方だと感じました。
患者を縛らず、肯定しつつ、「善かれ」を押し付けるでもなく、さりげなく寄り添ってくれました。

バブは「あやにゃんの顔が好き」と言いました。
中身とか性格はどうでもよくて、美人とか可愛いとかでもなく、ただこの顔が好きなだけだから、毎日見れたらそれでいいということでした。
これも悪くない言い方だと感じます。
他と比べず、条件も設定せず、ただ肯定しているだけだからです。


自殺未遂をやらかして退院した直後は、毎日誰かが来ていました。
監視が目的ですが、お互いの気配が分かる程度に放っておいてくれて、それぞれ好きなことをして黙って過ごしているだけでした。
私がボンヤリしてる近くでゲームしてるとか、マンガ読んで寝転んでるとか。

「この部屋はダラダラするのにちょうどいいわー」と言って、私に何か言うでもなく、気を使うでもなく、好き勝手に過ごしていました。
時々、「ちゃんと食べたか?」とか確認する程度で、仕事の愚痴を言って「聞いてもらってスッキリしたー」と言って帰るとか、私が驚くほど「普通」でした。

それが有り難くて涙が出ました。
涙が出るというのは、良い兆候です。
人間らしい感情の発露だからです。
それで私もなんとなく落ち着きを取り戻せそうな気がしました。


ところがある日、母が来て台無しになりました。
私がやらかしたことを怒って無理矢理連れて戻り、マンションの一室に軟禁したのです。

突然私が居なくなったことでバブと友人は、私がまた自殺を図ったのではないかと心配しました。
そこでバブが私の母に連絡したら、母はかなり酷いことを言ったようです。
バブは頑として教えてくれませんでしたが、母のことなので、自殺未遂や一向に治らないウツ病をバブのせいにして、散々バブを侮辱する暴言を吐いたのだと思います。

そこで看護師の友人が母の再婚相手のマンションに来てくれて、隙を見て私を連れ出してくれました。
その時、玄関に私の靴がありませんでした。
異様さを感じ取った友人は、「あのお母さんはヤバい」と固い表情で言いました。
その友人はアメリカの異常犯罪心理をネタにしたドラマや映画が大好きでよく見ていたらしいのですが、私の母から「それっぽい雰囲気」を感じたと言いました。
私と母のことを、スティーブン・キング原作の「ミザリー」という映画みたいだと言うのです。
事故に遭った小説家のファンだと言う女性が、看病と言いながら小説家を拘束・監禁し、小説の続きを書くことを強要する……という話です。

母に見つからないように待機していたバブの車に乗ってアパートに戻った私は、もう二度と一人きりで母に会わないようにしました。
子供時代からの習慣は根強く、母にだけはどうしても逆らえなくなってしまうからです。
一人で居る時に母がアパートに来ても居留守を使いました。
外出もなるべく一人にならないように注意して、人通りのある場所と時間を選ぶよう気を付けました。


母と最初で最後の一騎討ちをしたのは27歳ぐらいのときです。
時期をはっきりとは覚えてないけど、それくらい。
初めて母に怒鳴り返しました。
泣きながらでうまく声も出ず、グダグダだったけど、言えたことが自信になりました。

それ以降、一年ほどで病院通いを卒業しました。
自分で何とかする段階に辿り着いたわけです。

今も自分の精神状態の観察は続けていますし、単独での外出時は母の襲撃を警戒しています。

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私も

2019.04.10.15:52

親から相当な目に遭ってるけど、普段から言いたいことを言っていたのと、たまに怒り狂って喚き散らしていたので、そういう性格だとウツにはならないのかなあ・・・と思ったが、ウチの父は好き放題に怒鳴り散らしていてもウツだしなあ・・・本当に原因は分からないねえ、ウツって不思議だ。
しかしよく考えると私の弟妹のうち親に逆らえない奴が二人ともウツになったので、これはアワなタチの人がウツになるのかなあ。

よく分からないのですが、

2019.04.10.16:11

我が家の場合で思い当たるのは、
支配的な親の下で逆らえないなりにも
被害者意識を拗らせなかった弟はウツにならず、
被害者意識を拗らせた私はウツになりました。

被害者意識とか本心にフタをして見ないようにして
言動では親の言いなりになっていました。
本心と言動との食い違いが大きくなるにつれて
心も壊れていったのかもしれません。

それと、私は気が弱く、細かいことでクヨクヨしてました。
その辺、弟は割と雑にできてた。

if家のお父さんも、実は気が弱いのを隠すために虚勢を張って怒鳴ったりしたのかなと、ふと思いました。

うん

2019.04.10.16:42

ウチの父は凄く気が小さくて気が弱い。
私が父親を十数年間放置していた間、一度電話を寄こしたが
私がテキトーに応対してから一度も電話来ないし、ウチにも突撃して来なかったわい。
父の気が小さいと感じたのは弟の結婚式の前に親族紹介した時、父は上がってしまって、もう平常ではなかった。それを見て(気が小せえなあ)と思ったのが始まりかな。
父の兄弟姉妹も口うるさいが気が小さいのでちょっと脅したら、もう態度が平常ではなくなったので、なんて気が小さいんだと思った。
それを知ったら「こっちのターン」ですわw
今の心境は「掛かって来いやあ!」です。
誰も掛かってこないのでつまらないけどw

気が小さいと

2019.04.10.18:26

ウツになりやすいのかもしれませんね。

「掛かってこいやあ!」と心の底から言えたら
ウツとは無縁だろうなと思います。

内心ビクビクオドオドで言ったら、
後でめっちゃ後悔して怖くなるんですよ……
(経験アリw
プロフィール

あやにゃん

Author:あやにゃん
成人期 4 賢者
バブちゃん(夫)
成人期 3 王
ルル(光の犬)のこと書きます。たまにルルも原稿を執筆します。

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