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学生時代のウツ病治療

2019.04.06.08:39

昨日ウツ病のこと書いたらいろいろ思い出した。
パンドラに会う、ずーっと前の話。


小学5年の頃から死にたいと思うようになりました。
同時に(これはきっと本心ではない、私はおかしくなってる)とも思っていました。

中学2年の頃に何かの本を見て(私はウツ病かもしれない)と思いました。
高校で看護科の勉強をして、高校3年になって精神科の授業を受けました。
私は間違いなくウツ病だろうと確信しました。

でも、母に言うと発狂するのが分かっていたので、どうにかこうにかやり過ごしながら遠くの短大に行きました。
一人暮らしをさせてもらえないのはわかっていたので寮付きの短大です。

短大の寮は楽しい所でした。
友達が居なかった私にも初めて友達が出来ました。
最初の1年間は楽しくて、自分がウツ病かもしれないということも忘れそうになるほどでした。
2年生になって病院実習が始まり、睡眠時間が削られ、ストレスも増え、母から卒業後のプレッシャーをかけられたことでまたウツっぽい症状が出て、死にたくなりました。

やっぱり私は病気だと思い、精神科を受診しました。


「母の言う通りにできなくて申し訳ない」と思い始めると死にたい衝動が止まらなくなるし、ドキドキしたり怖くなったりしました。
慢性的に眠れない、集中力が持たない、注意散漫になる、そのくせ細かいことが気になり出すとそれも止まらない……
日常生活にかなりの支障が出ていました。

仕方がないので治療に専念することにしたわけですが、休学しなきゃ無理でした。
病院実習なんて危なっかしくて出来ないし。
そうなると母に報せなきゃいけないし、休学中の奨学金はストップするし、学生寮も出なきゃいけない。
行く所は無いし、バイトとかも絶対無理。
何話しても「申し訳ない、生まれてすみません」になるので、普通の会話すら困難。
結局遠くの自宅に逆戻りしなくてはなりません。
でも退学は絶対嫌でした。
病気のせいでおかしくなってるだけだと考えられるし、ここで道を閉ざしてしまうと自分の将来が無くなってしまいそうで怖かったから。

18年生きてて、唯一母に逆らったのが短大なんです。
県立短大に自宅から通えと言われたのに、奨学金3つ取って、寮に入るから却って安上がりだと説得しました。

そんなだったので、休学すると聞いた母は激怒して新幹線でやって来て、診察にも無理矢理付いてきました。
そして「あんなにシャッキリ子ちゃんだったのに、どーしてこんなパー子ちゃんになっちゃったのぉ?」と素っ頓狂な声を上げたんですわ。

主治医は母を一目見て「なるほど」と言い、直ぐに診断書と紹介状を書いて私に持たせ、母に「必ず近いうちに、私が紹介したここに、娘さんを行かせてあげて下さいね」と強い口調で言いました。
母はその時カチンと来たらしく、後で主治医を罵倒してました。

主治医の「なるほど」とその時の目が印象的だったので覚えています。
今の私がその現場を見ることが出来たとしたら、私も「なるほどw」って言ってしまうなあ。


母は、私が進学して直ぐに、後の再婚相手のマンションに押しかけて住み着いていて、元のアパートには高校生の弟が一人で暮らしていました。
というわけで、短大2年の途中から休学した私は母親の彼氏のマンションの一室に間借りすることに。
母は私を自分の監視下に置きたかったからです。

でも、母の過干渉と暴言は落ち着いていました。
彼氏の前で猫を被っていたからです。
これは私にとってはラッキーでした。

私は主治医に紹介された精神科医とカウンセラーの処に週一で通い、間借りしてる部屋に閉じこもって学校の勉強と試験対策を忘れない程度にゆるくやり、家のことは掃除と洗濯をしていました。

たまに弟も高校の帰りに会いに来て、一緒にゲームをして、母親と彼氏が帰ってくる前にアパートに戻って行きました。
弟は高3で、事実上の一人暮らし歴は1年少し。
気楽な生活を満喫してるようでした。

また、精神科のクリニックの待合室で高校の同級生に偶然再会しました。
彼女もウツということで、少しずつお互いのことを話すようになりました。

こんな風にして、母と私の共依存状態の狭い世界に、外の世界の人たちが、少しずつ少しずつ、染み込むように入ってきました。


薬を飲むと「生まれてごめんなさい!死んでお詫びしなくちゃ!」という妄想が少し緩みました。
私の場合、薬がよく効いたんですね。
軽く酩酊してるような感じというか。

相変わらず眠りは浅く悪夢が多く、金縛りとか暗がりが怖いとかで夜が怖かったですが、体を休める目的で軽い睡眠薬を服用してました。
寝た気がしないので、スッキリはしませんでしたが、それでも無いよりマシでした。

薬のおかげで死にたい妄想が少し緩む代わりに、注意散漫になるし、ぼーっとする。
元々のウツ病の症状と見分けが付きませんが。

明らかな副作用としては、記憶障害です。
色んなことを覚えていられない。
うわの空で返事してしまって、覚えてない。
でも周りからはマトモにしっかり受け答えしているように見えるらしく、時々齟齬が生じました。
うっかりミスとか物忘れとか、そんなレベル。
気にしない人は気にしないレベル。
だけど、薬を飲み始める前の私にはあり得ないことだったので、記憶障害はかなり不安になりました。
母の言葉を一語一句正確に記憶する癖があったので、それをボンヤリ聞き逃している自分が怖かったです。

車の運転とか危ない感じです。しなかったけど。
薬を飲んでいた頃の記憶が、はっきりしてる部分と抜け落ちてる部分があります。
はっきりしてる部分も、現実味は薄いです。
夢で見たような感覚の記憶です。

こういうわけで、薬を飲み続けたらヤバいと思いました。
よりキツい薬になるとか、量が増えるのも不味いと思いました。
だから、薬とは最低限の付き合いにしたいと主治医には伝えていました。

でも、この時点では薬を断つのは無理でした。
強い妄想が出てくると衝動的に飛び降りたくなってしまうから。
母親の彼氏の家は14階建のマンションだったので、やろうと思えばいつでもやれる環境でした。


死にたいと思いながらも、それは違う、とも思う。

薬で死にたい願望が緩んでる隙に、ノートに思い浮かぶことを書きまくりました。
とにかく書いた。

精神科医やカウンセラーは自分の頭と心の中を客観視する補助をするだけなので、何も教えてくれません。
患者が自分でやらなきゃいけない。
だから、書きまくった。

この頃からようやく
(もしかしてうちの親、なんか変じゃね?)
と思い始めてきました。
本心では感じてたはずなんですよ。
だから精神科を自分で受診した。
受診した当初は、自分の気持ちを言語化出来ませんでした。
わからないなりにも、助けを求めました。

それが次第に言語化出来るようになってきたのです。

子供の頃から友達が居なかったばかりに、親の言うことを神の声みたいに鵜呑みにしていました。
母が「あの子とは遊んじゃダメ」「あの子ならいいわ」などと友達を値踏みするから誰も近寄って来なくなったんですが。

親と争ったり、考えるのに疲れてしまって、
(親の方が変かも?)と思っても即否定して自分の心を殺してました。
しかもそれを全て無意識で全自動でやるようになってました。

これを自覚するなんて、当時の私にはかなり困難でした。

医師とカウンセラーは分かっていたはずです。
でも、絶対に私には言いませんでした。
私の状況が手に取るように分かっていても、教えてくれませんでした。

その時の私に迂闊に教えてしまうと、親を否定された!と逆上するか、親の代わりに全力で医師とカウンセラーに依存開始するのが分かっているからでしょう。
私が自力で気付くのをひたすら待っていてくれました。
それが私が通った精神科の治療方針でした。


今の私なら、一人でやれます。
でも、当時の私は聴き手が必要でした。
情緒が安定している中立の聴き手です。

友達からは、自分では考えもつかないような反応が来るんですが、それを(いいな)と心地よく思ってしまうと、当時の私はそれをすぐに取り込んでしまいました。
何でも母の言う通りだった私は、空っぽだったのです。
空っぽでいるのは不安なので、何かで埋めたい。
でも自分に自信が無いから、自分の考えは信用できない。

そこで、好ましいと感じる他人に、いとも簡単に自分を明け渡してしまうんです。
洗脳受け入れホイホイ状態というか。
かなり危ないです。
だからどうしても、情緒が安定した専門家が必要でした。

治療を自分から求めたということは、洗脳元である母に疑問を持ち始めていたということです。
このタイミングなら洗脳の上書きが容易い。
もしもこの時期に悪い男か宗教に引っかかってたら、今頃私はどうなってたか分かりません。

母の男癖の悪さと宗教ぽい自己啓発セミナー通いを見ていたおかげで、男性不信と宗教アレルギーぽくなっていたから無事でした。

自分で気付く機会を奪うのは治療ではなく、支配です。
支配を受け入れてしまうのは手っ取り早いので一時的にはラクなように思えるかもしれないのですが、長続きしません。
全てを捧げてしまい、もっとズタボロになります。

ちょっと元気が出てきて交友関係が広がった時は、主治医とカウンセラーが警戒しました。
交友関係によっては、全てが台無しになります。
でも、分かっていてもそれを止めることが出来ないのです。

幸いにも弟がお目付役として居たので、変な男に引っかかることなく、治療を続けることができました。
18年かけてウツ病になったのだから、治療にも同じくらいの期間を要するだろうと思いました。

母は何でも私のせいにしてラクだし、看護師なら将来面倒見てくれるしで私を手離そうとしませんでしたから、今後も大変なことは目に見えています。

それでも、短大に戻りさえすればあと一年の猶予があります。
母と離れて過ごせる貴重な一年です。
その間に何とかできればいいなと思いました。


とりあえず19歳の時に命拾いしたのは精神科医とカウンセラーのおかげです。

「あのお母さんからは一日も早く離れた方がいいよ」と、復学する前の最後の診察日に言われました。
これは個人的な意見として親切心で言われたのだと思います。
国家試験に受かったら私も看護師になるから、サービスだろうなと思います。

留年した私は、復学する手続きも兼ねて同級生の卒業式に来客として参列しました。
みんな喜んでくれました。
私が休学した直後、続けて3人休学したそうですが、みんなそのまま退学したとのこと。

ウツ病の学生は珍しくないけど、戻ってきた学生は初めてだとのことで、先生たちは驚いていました。
私は「今から前例を作りましょう」と先生たちと話しました。

復学後は一回か二回、最初の主治医と面談して、「もう薬はいいや、また自分で思うときに来てね」ってことになりました。
結局、薬は飲まずに短大を卒業できました。

短大では病んでる友達が2人出来、2人とも休学して、翌年卒業しました。
短大側も、退学者を出すよりも、留年しても卒業させる方が得策だと考えたのでしょう。

就職してからまた母に粘着されて学生時代以上に病むことになるけど、それはまた別の話。
短大卒業したての頃は、もう一段下のヂゴクがあるなんて思いもよりませんでした。


留年後に友達になった2人は今も友達です。
1人は結婚して看護師続けてるし、もう1人は私同様ふらふらしてますが、みんな生きててよかったとたまに手紙が来ます。

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あやにゃん

Author:あやにゃん
成人期 4 賢者
バブちゃん(夫)
成人期 3 王
ルル(光の犬)のこと書きます。たまにルルも原稿を執筆します。

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